「THE NEXT GENERATION パトレイバー首都決戦」2015年 日本 94分 シネスコ 監督・脚本 押井守
いざ行かん!邦画初の4K DOLBY ATMOS体験へ!
というわけで不良妻のワテクシ、旦那をほっぽり出して、夜の六本木ヒルズに繰り出してきましたよ。だって、対応劇場、行ける範囲じゃ、ここしかなかったんだもん。しかも上映期間が1週間限定で、上映回が19:00-と21:15-のみってorz。平日の仕事帰り、21:15-回にGo!上映終わった時は、ほとんどの店が閉まっていて、数軒のバーとスーパーとTSUTAYAについてるスタバが営業してるのみ。東京タワーが目の前にどっしりとそびえ立っていて、ひっそりした空気。スタバだけが妙に混んでいて、なんか不思議な空間でした。
なんとなく、お金持ってる人達がヒルズ族を目指す気持ちがわかった気がする。また、この映画の中で、ヒルズを思いっきり銃撃してるんだけど、それもわかる気がする。六本木ヒルズは、ある意味"Tokyo"の象徴なんだろうね。
その中でテレビ朝日は、夜中もすべてのフロアにこうこうと明かりが灯っていて、TV局って大変だなぁってちょい思った。
さて、ネタばれ全開、あらすじナシで感想です。公開あらかた終わったからいいや、って思ったら、10月に未公開シーン約20分を足したディレクターズカット版が上映されるって…orz。ええい!見ていない方はここから全力回れ右ー!!
簡単に語るつもりが、すっげー長くなりましたorz自分の中でのもやもやしたものに、整理をつける意味合いで書いているものなので、はい。お時間あればどぞー(^^;。
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押井守監督はやっぱり面白いよなと思う側面と、ずるいよなって感じる側面と。
今回の内容は、第7章のレビューでもお伝えした通り、1993年に公開されたアニメ長編映画「PATLABOR 2 the movie」の続編、というか、客観的に見れば、押井守監督の再実験…といってもいいと思う。本人は、実験ではなく「差分」をみせたいと言っているけど。公開直前の押井守のインタビューはこちら↓
http://s.news.mynavi.jp/articles/2015/04/30/patlabor/index.html?lead
「PATLABOR 2 the movie」は、東京を最小限の軍事力を使って制圧するには、どういうポイントを押さえればイケるか?という、押井守監督の思考実験でした。
では、22年前と社会情勢が変わった今、「PATLABOR 2 the movie」と同じように東京全体を人質にとるテロ事件を起こすとしたら、どうすればよいのか。人々はそれを受けてどう動くのか。背景にある思想はどう変質しているのか。また、3代目特車2課なら、どう受けて立つか。その中で、変わらないモノはあるのか。そんな思考実験の映画。
「PATLABOR 2 the movie」はちょっと押井守の思想披露に走りすぎてる感があって、観客を置き去りにしている面があったけれど、今回の「首都決戦」は、戦闘シーンでみせるカタルシスも重視。
「PATLABOR 2 the movie(以下パト2)」ではほとんど出てくることのなかった特車2課の若い面子を、今回はきっちり出してアクションさせることで、エンターテイメントの枠にギリギリとどまってる。後半はどちらかというと「機動警察パトレイバー劇場版」に近いんじゃないかな?
しかし、どっちにしても、相変わらずの押井守の思考を代弁する超長ゼリフが出てきます。話し言葉じゃないんですよね、書き言葉。毎度、実写ではこれやるなよ…と思う。アフレコじゃないんだからさ。うへぁ…。
それでも、昔よりは少しわかりやすくなったかな?根本はパト2の思想とあまり変わるところはないので。この超長ゼリフを喋り切った高島礼子、よく頑張りました!あ、それから、軍事オタク知識を立て板に水で披露する長ゼリフ、これを言い切った福士誠治にも舌を巻きました。文脈がない分、こういうセリフってすごい憶えにくいのよ。すげえ。
まずは面白かった側面から。
*4K と DOLBY ATMOS
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この映画のメインは、「グレイゴースト」と呼ばれる戦闘ヘリ。
レーダーには探知されるが、表面に熱光学迷彩パネルが貼られ、周りの風景に同化。はたから見ると、透明になるように見える。狭くて起伏が激しく、高いビルも多くて、レーダーで場所を確認しづらい日本国内で使用されることを前提に開発されたという「パト2」で出てきた陸上自衛隊ヘリ「ヘルハウンド」の後継機という設定。
こいつが、防衛省全面協力のもと撮影された、ホンマもんの陸自ヘリ「コブラ」と空中戦を繰り広げる。ふおおー!新宿都庁上空でのフィクションとノンフィクションの陸自ヘリ同士の戦い!これ、すごくいいっすね!
パネルが作動すると「グレイゴースト」の目視は困難になる。音だけが空に鳴り響き、「グレイゴースト」の存在と方向を知らせる。そんな訳で、DOLBY ATMOS大活躍。ヘリの音が右から左へ流れていき、観客にグレイゴーストの位置を知らせる。おおお!飛んでる飛んでる、グレイゴースト、真上飛んでる。こりゃ面白い。
これから音響デザインやる人って、すごく重要になってくるんじゃないかなぁ。かなりセンスが問われる仕事だと思った。どこのスピーカーからどの音を出してどういう風に音を走らせるか。これで、観客が画面上のどこに立っているか決定されちゃう。
逆に音ひとつで、観客を恣意的に画面とは違う位置に立たせることもできそうで、面白い。どういう風に使うか、すごく可能性の広がるシステムだと思う。
4K映像は…、私、一般劇場での通常上映も見ているのですが、違いがよくわかんなかったかも。ただ、夜のシーンは見やすかったと思う。うん、カーシャの暗闇での戦闘シーンは格段に見やすくなってた。
*最強のオンナ達
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「これは5人の女が戦う映画なんです。ひとりは遠くに去り、もうひとりを残った3人が袋叩きに
する。男はなにもしないんです」
押井守監督が映画パンフでそう語るように、とにかく女達が強い!
その筆頭は当然カーシャ(笑)!
<カーシャ>
彼女は監督が「今回やりたかったことのひとつ。戦争がリアルな世界の人間がひとり混じり込んでいる(※)」というように、特車2課中唯一、戦うことに対して躊躇しない思想がカラダに叩き込まれてるロシア女。
どう動くべきか、特車2課の男達が決断を迷うところで、彼女は私ひとりだけでもやる、とぐいぐい前に出て行って、男たちの決断を引っ張って行きます。
そして、グレイゴーストを隠している倉庫を、特車2課総員で急襲するシーン。ここでセカンドユニット辻本監督のカーシャと射撃とアクションへの愛が爆発!カーシャは、白兵戦経験のない特車2課の連中を冷静に先導し、壮絶なアクションをみせてくれます。やー、ここの監督、辻本さんでよかったです!ほんっとよかったです!ありがとう、辻本監督!
あ、ここで銃剣を取り落としたカーシャへ、銃剣を拾ってパスした御酒屋さん、ちゃんと明を庇ってるんですよね。ここはカッコ良かったです。
<南雲 しのぶ>
顔が出てこない、シルエットだけの南雲しのぶ。声は榊原良子。彼女もシバシゲオに次ぐ、アニメと実写のつなぎ目。
「私に手を触れるな!」
パト2で、毅然とした態度で拘束しようとした上層部の手を払いのけた彼女は、警察を辞した後、国連活動に従事。紛争の続く中東に身を置いている。彼女は煮え切らない後藤田に対して、特車2課の遺産の正体がただのフェイクであったことを明かし、その上で”特車2課の伝統”を引き継ぐかどうか、決断を促します。
しのぶさんは警察の組織に殉じながら、柘植の思想に共鳴することで抱えた、自己の矛盾から目を逸らさなかった。自ら海外の戦闘地域での活動に身を投じることで、問題に体当たりしてきたんだと思う。そんなしのぶさんは、顔が見えずとも、その佇まいは美しい。先代の後藤とその後輩の後藤田は、きっと永遠に彼女には敵わない。彼らの永遠のマドンナと呼ぶにふさわしいお方です。
<高畑 慧>
高島礼子、これは当たり役だったといっていいと思う。少なくとも私の中では、評価がうなぎのぼり。
自由が効きづらい警察組織。外事3課の彼女はレインボーブリッジを破壊したテロ組織の存在を嗅ぎつけるも、所属部署が「公安」のため、いざ有事が起こらない限り、身動きがとれない。その有事を起こす突破口として、特車2課を利用する。
後藤田のためらいなんか御構い無しに、畳み掛けるように機密事項をバラしていき、後藤田を戻れない深みにハマらせていく手腕はお見事。
そして、捕まえたテロ組織メンバーにグレイゴーストの行き先を吐かせる為に、なんの躊躇いもなくメンバーの脚を撃ち抜く。
彼女もまた自分の正義を貫く為に、他人を傷つけることを厭わない女。恐ろしいけど、美しい。
グレイゴーストを、カーシャ、泉野3人で撃ち落とした後、とびきりの微笑みと共に後藤田に声を掛ける。
「先輩の彼女にヨロシク!」
決断をして特車2課を動かした後藤田への礼賛…というより、彼を動かしたしのぶさんへの礼賛。彼女が後藤田と後藤の憧れのマドンナであることをちゃっかり見抜いてる。どうも手厳しいね(^^;!
<灰原 零と泉野 明>
実は1番恐ろしい女は、この2人。
グレイゴーストのパイロットである灰原と、特車2課のイングラムのパイロットである明は、ネガとポジ。本質は同じ。2人とも正義も思想もない。ただ、ゲームをする時の集中力がすごい。灰原も明も、それぞれの機体を操ることをゲームとして楽しんでいる。
そのことが、バスケットボールを通じて語られる。灰原の象徴はバスケットボール。空き時間に、ひたすらバスケのゴールにボールを入れ続ける。そして、高校時代、バスケ部だった明も、決戦前にひたすらバスケットボールをゴールに入れることに集中させていく。シュートの精度があがっていくにつれ、明の表情は無に近づいて行く。灰原に同化していく。
特車2課のプレハブがグレイゴーストに銃撃され、叩き壊された後、後藤田はイングラムを積んだ車両をわざと目立つように、高速道路を走らせて、灰原を挑発。決戦の地、東京湾ゲートブリッジへの誘導をかける。こんなので灰原が挑発されるか?と不安を口にする塩原に、後藤田は答える。
「そこにいる泉野に訊いてみろ」
後藤田は明と灰原に共通する本質を見抜いている。灰原にとって東京破壊はゲーム。特車2課のプレハブを壊したことで、クリアしたはずのステージのボスキャラが残ってる。こいつを、見逃すはずはない。明もそれを感じとっている。
では、灰原と明の違いはなにか?
灰原は名前が示す通りゼロの存在。灰原の陸自に残る経歴は平凡で特徴のないもの。中高の同級生や担任も、彼女のことはよく憶えていない。そして写真だけがすべて抹消されている。彼女の顔を確認できるものがなにもない。極めつけは、本物の灰原零は13才の時に病死しているという事実。では中高に通い、印象の薄かった灰原零は何者だったのか?陸自に入って、グレイゴーストを強奪し、テロ組織に入った灰原零は何者だったのか?映画内でその答えは語られない。
彼女は過去すら持っていない。テロ組織からも自衛隊からも、その天才的なヘリ操縦の腕を買われただけで、人間的な感情を示す交流エピソードはなにひとつない。彼女には守るべきものなどなにもない。自分すらも守る気がない。首都破壊をサディスティックにゲーム感覚で楽しむだけ。灰原には人間らしい気持ちは見えない。見えないヘリ、グレイゴーストと同じ。
対して、明には仲間を傷つけられた怒りがある。最初はトラブルに関わることを面倒がっていた明。それが、灰原に塩原がボコボコにのされてから、顔つきが変わった。
ここで、今までのTNGシリーズの、くだらない彼らの日常の積み重ねが生きてくる。どうでもいい日常。でも居心地がよくて、気楽な日常。他人にそれを壊されるのは我慢ならない。ただ、それだけ。「パト2」の泉 野明との「差分」が、ここで出る。野明には少なくとも警察官としての正義感があった。明にはそれはない。
そして、灰原と明の「差分」は、今までの日常の積み重ねがあったか、ないか、ただそれだけ。
だから、灰原も明も恐ろしい女。彼女達は兵器。まわりの使い方ひとつで、どちらにでも転ぶ可能性がある。思想や正義がないと、行動が見えない。グレイゴーストのように。
だから彼女達は、この映画の象徴でもある。
そういう意味では、明は充分に本作品の主人公でした。
あ、そうそう、竹田団吾製作のパイロットスーツに身を包み、長い髪をきりりと一本に結んだ灰原役の森カンナ。背中のラインがスッとしていて、めちゃくちゃカッコよかったです。
あと明は最後、息が詰まりそうなイングラムのコックピットを開けて外気の風に触れた時の横顔が、無の境地に達していて、透明感があって抜群。シリーズ中、1番綺麗な横顔でした!
<なにもしない男達?>
押井守は「男達はなにもしないんです」って言ってるけど、そんなことはなく。
なんやかんやで男達の助けがあって、5人の女性は輝いているのかと。強い女性に振り回されっぱなしな感もありますが。
塩原は、銃撃を恐れずに外からイングラムの予備電源のスイッチを押しに走るなど、普通に頼りになる感じ。山崎や御酒屋もそれぞれちょっとずつですが、女性のアシストを果たしております。
特に後藤田。しのぶさんと高畑に翻弄されっぱなしでえらい目にあっておりますが、最終的に2人の希望通りに動くことで、彼女達の最大の援助者になっています。
切り札になるかと思った『先代の遺産』がフェイクで、特車2課が潰れるのが確定、一度は拗ねた後藤田。しかし、「やったことの責任をとらせるのが俺たちの仕事だ」と先達の伝統を継いで、最後の大仕事をするよう特車2課全員を焚きつけるあたりはカッコ良かったです。
全員に共通することは、強い女達に対するリスペクト。女だてらに、女のクセに、ではなく、彼女達が前に立つべきところで的確なサポート。あまりに普通で自然な流れだったので、パンフを見るまで最後の決戦の場で武器を手にしているのが女だけ…ていうのに気付かなかった(;^_^A。
そして大田原は…まったく役に立ってないな(笑)。
*柘植の劣化コピーと化した、柘植シンパによるテロリズム
今回のグレイゴースト強奪と首都破壊は「パト2」で起きたテロの首謀者、柘植のシンパ達によって行われたもの。
小野寺を中心とする柘植のシンパは、"憂国の情"を持ち、柘植の意思を引継ぎ、事件を再現しているつもりだけれど、実際は柘植の事件のどうしようもない劣化コピー。
PKO部隊として海外派遣され、現地のゲリラ部隊に襲われても、武器使用で生じる「責任」を取ることを恐れた上層部からの交戦許可が降りなかったが為に、部隊全滅の経験をした柘植。
だから、柘植は「パト2」では、実際に爆撃をしかけるのは最小限にとどめ、主に通信、交通機関をシャットダウン。そしてフェイクの空爆を演出して、自衛隊と警察が対立するように仕向けた。
柘植の真の目的は、東京で危機的状況が起こっているにもかかわらず、タテマエ論、責任のなすりつけばかりが警察、自衛隊上層部に横行し、敵に対してなんら有効な手立てを打てない状況を作り上げること。
各方面にいい顔しようとした挙句に決められた、タテマエと責任転嫁に歪められたとんちんかんで現場を見ていない法案や命令系統が、どれだけの人間を命の危険に晒すか、上層部や政治家達に身をもってわからせる為に起こしたクーデターだった。
ところが柘植のシンパ達は、柘植の「他国の戦争と無関係を装いながら、他国の戦争で潤っている日本の現状を憂う」思想は引き継いだものの、柘植のような命の重みを背負っていないだけに、やっていることはずさんで軽い。
多分、彼等の目的は、平和ボケした日本に、戦争は他人事ではないと喝を入れること。だから、ひたすらグレイゴーストで、東京の権威を象徴する建物(警視庁や都庁やヒルズなど。特車2課はほぼ機能していないものの、機動隊のシンボリックな存在)を壊しまくるだけ。
通信などは寸断されていないため、避難勧告が繰り返し流されるし、特車2課が単独でグレイゴーストをおびき出しながらゲートブリッジに向かった時も、彼等を邪魔しないよう、各自衛隊機に指示がすぐに飛んでいる。「パト2」の時と違い、命令系統はまったく死んでない。
また、首都を蹂躙する姿をみせるにしても、グレイゴースト一機では影響力も微々たるもの。ほとんどの都民がモニター越しの爆撃を眺めることになる。
それは非現実的な光景で、近くの建物の中に避難しろという勧告が、街頭のオーロラビジョンでなされても、都民の大半は動かず、ぼんやり画面を眺めるだけ。道路には通常通り車が走っている。そして、グレイゴーストが燃料補給に河原に降りたとき、野次馬がわらわら集まってくる。
灰原が銃撃して、初めて野次馬達は逃げ出すが、それ位一般人に危機感はない。小野寺達シンパの当初の目的が果たされているとは、あまり言えない。
そして、小野寺達シンパの覚悟も甘い。
彼等は、もともとグレイゴーストの燃料がなくなり次第、投降予定だった。投降すれば、身の安全は保証されると舐めている。だから、河原で高畑達に拘束され、グレイゴーストの行き先を詰問された時も、小野寺は薄く笑っている。が、仲間の脚をあっさり撃たれ、つぎは2人やると脅されたら、あっさり白状しちゃう。
”憂国の情”などと気取っているものの、本質はゲームを楽しんでいるだけの灰原と大差ない。つーか、"平和ボケした"大衆を見下して、裏付けのない薄っぺらい思想を暴力を通じて垂れ流す分、灰原よりタチが悪いかも。
この「パト2」との差が、いかにも今日的で面白い。こういう人達、今ネットでよく見かけるよね。
そしてここから押井守監督をずるいなと感じた側面。この人は抽象的な言葉を多用する事で、言いたい事をボカして煙に巻いてる…って、いつも感じちゃう。そう感じるのは、単に私にテキストを読み込む読解力がないだけからかもしれないけど。
*敗戦によって失われた「モラル」
この映画の前半で、高畑と後藤田が「パト2」での後藤と荒川がしたのと同じように、日本橋川→隅田川をボートで進み、先代の柘植と後藤の考えに思いを馳せるシーンがある。それは、そのまま現在の私達の平和に対する姿勢への押井守監督的批評に直結している。
高畑は後藤田に語る。日本は敗戦によって「モラル」を永遠に失ったと。「モラル」が指す具体的内容は明かされはしないが、それにより、我々日本人は「被害者」であり続け、賠償を声高に叫び、正義を享受する側にまわったと高畑は言う。それでも「正義の戦争」による暴力よりはマシなため、後藤達は不正義の平和を選び、柘植を止める側にまわったと。
これは今論議が始まった安保法制見直しに通じる内容でもあるかと
。
戦争を永久に放棄する。
そういう風に憲法で定められ、専守防衛をうたう。が、古くは朝鮮戦争でアメリカの前線補給基地となったことで、国の経済は潤い、高度経済成長の礎を作った。
そして、今も昨年行われた武器輸出緩和で、外貨を獲得。
現在の原油の主な輸入先は中東、ロシア。中東からの輸入はイラン、サウジ、アラブが大部分を占めるが、今ISの構成員の大部分を占めるイラクからの輸入もある。
他国の戦争が経済と直結しているにもかかわらず、見ないふりをし続け、「平和」をうたい、他国にその尻拭いを押し付けることに限界がきていることは、理屈としてわかる 。
しかし、自衛隊に他国の「お手伝い」を積極的に認めるということは、「被害者」の枠を抜け出し「加害者」になることを覚悟しなければならないということでもあり。
私がずるいな、って思ったのは、今回の「首都決戦」を含む、パトレイバー実写シリーズで「殺人」をまったく見せていないこと。
押井守はこう言ってる。
「殺すとね、世界観が変わっちゃうんですよ。それだけは多分許されない。結果的に死んじゃいました、はいいんだよ(笑)。だから、この間合いの中で殺さない。敵の顔が見える世界では人殺しになるから(※)」
エンターテイメント性を確保する上で、この考え方はきわめて正しい。実際にTNG8話では、カーシャは師匠の頭を狙撃でぶち抜いてるけれど、観客からはそれが見えない間合いを演出したことで、特に嫌悪感を抱かせないように出来ている。
しかし、戦後の日本人を「被害者」の立場に甘えていると評する以上、では私達が「加害者」になったら何をすることになるのか?というのは見せておくべきだとおもうのです。
戦後、ずっと「被害者」であり続けた日本人の私達。これから「加害者」にもなりうる 。自衛隊員がやることだから私達は関係ないでは済まされない。私達の間合いで見えない所で行うことだからと言って、彼らを紛争地域へ送り込むことを法で認めた以上、彼らの紛争地域での行動は私達の行動。私達は自衛隊員の手を通して、何をすることになるのか。
そこでは「被害者」にならない為に「加害者」になる可能性も充分すぎるほど出てくる。もちろん、目の前で「被害者」になるかもしれない緊急事態を前にして「加害者」にならずに、その場で「支援活動を中止」して帰ってこいなんて、酷いことは彼らに言えない。それこそ現場を見ていない「空論」なんだと思う。
私は反省と反戦の願いを込めた、戦争体験記をたくさん読んできました。しかし、そのほとんどは空襲、疎開、被曝など、戦争「被害者」としての体験。「加害者」としての体験記はほとんど見かけなかったように思う。
親戚のじい様は従軍して、外地に行って帰って来てます。でも、じい様はその時の体験を、死ぬまで決して口にすることはなかった。小さい頃、一度だけ興味本位で戦争体験をおはなしして、とじい様にねだって、そんなこと気軽に訊くもんじゃない!と一喝された。その時はよくわからなかったけど、今にして思えば、多分じい様は外地で「加害者」だったのかもしれない。
そして、ベトナム戦争帰還兵が「病んだ」故に、起こした数々の事件。
これらのことが何を意味するのか?
私達が今後、戦争「加害者」になりうる立場として、これから何を覚悟しなくてはいけないのか。
「加害者」になりうることの意味、その先にあるもの。今、私にとって、考えなきゃいけないのはそこなんだろうな、と思う。
数の論理で、今の流れは避けられそうにない。ならば、「集団自衛権を行使」することで、私達が負わなければならない「責任」、「加害者」になってでも、なぜ「集団自衛権を行使」するべきなのか、それをあたりさわりのない言葉でいいくるめず、明確にして欲しいと思う。
それでもやはり、私は「加害者」にはなりたくないんだよね…。自分の甥っ子や友達の息子さんに「加害者」の枷を負わせたくないんだよね…。どうすればいいものか 。
!ご注意!
劇中のセリフの抜き書きは、映画後に乏しい記憶力を駆使して、思い出しながら書いたものです。なので、後にDVDを観たらきっと細かい言い回しは違うと思うし、下手すると文意も変わっちゃうかもしれない(>_<)。私が汲み取れなかっただけで、押井守監督の真意も別のとこにあるかもしれない。あと、安保法制にかんする意見は、あくまで個人的なものです。
その点はご了承下さい。
(※) の押井守発言は、ぴあムック「押井守ぴあ」より引用